陰翳礼讃

私はイルミネーションが大好きで、毎年だいたい同じだとわかっていても寒い中あちこちへ出かけて、華やかなクリスマス、年末年始気分を味わうのが趣味のようになっています。
毎回、イルミネーションを見るたびに思い出すのは、「近頃は、十五夜の月を楽しむ場でも、方々に電燈やイルミネーションを飾り、賑々しく景気を附けてはいないか・・・。」という「陰翳礼讃」の一節です。

私は、この一節を思い出し、飾り立てられた街並みばかりみて、本当の日本人としての美意識をないがしろにしているのではないかと、イルミネーションへの感動とともに、切なさと罪悪感を持ってしまうのです。
「陰翳礼讃」は、陰翳を愛でるという日本的な感覚が書かれた昭和8年発表の随筆で、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装など、多岐にわたって陰影の考察がされています。
「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作りだす陰翳のあや、明暗にあると考える。」
「漆器の美しさは闇を条件に入れなければ考えられない。派手な蒔絵などを施したピカピカ光る「?塗りの手箱」などは、ケバケバしくて落ち着きがないが、それらを闇の中の一点の燈明か蝋燭の明かりで見ると底深く沈んで、渋い、重々しいモノになる。」
光があるから陰があり、仄暗さのなかに日本人が育んできた美意識がある。うす暗い神社仏閣で感じる安心感、小さな窓から入る日の光を見つけた時の感動は、私の中にもまだ日本人としての美意識があるからでしょうか。
明るさを得たことによって失った美の領域。
現代の居住環境、忙しい生活の中ではなかなか味わうことはできませんが、たまには太陽や月の光の移ろいを感じたり、闇に見出す美を探してみることは、現代の日本人にとって贅沢な時間を過ごし方ではないかと思います。長期休暇の後の疲れが出る今だからこそ、そんな贅沢な方法で日ごろ忘れてしまいがちな日本人の美意識を感じながら疲れを癒してみてはいかがでしょうか。

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